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島崎英純メールマガジン「浦研」ブログ

新しい家族ができました

  • 投稿者: shimazaki
  • 2011年8月22日 12:41
  • 日記

今回、私の家に新しい家族を迎え入れることになりました。

彼です。

愛猫の急逝から2か月半ほどが過ぎました。49日も過ぎ、少し落ち着いたので、また猫との生活を始めようと決心したのです。

今回はこちらのシェルターに出向き、彼の里親になることを決めました。

東京キャットガーディアン

http://www.tokyocatguardian.org/

猫シェルターの概要については上記のURLを参照していただきたいのですが、簡単に言いますと、捨て猫や野良猫を保護して、私のような里親を探す団体のことです。

この東京キャットガーディアンさんには現在、150頭近くの猫が里親を待っています。

数多くの猫の中から今回、新しい家族を迎え入れたのですが、この子、

とっても人懐っこくて、警戒心がまるでありません。

我が家に来て、わずか2日目でもう、こんなふうに大の字にお腹を出して僕のベッドで爆睡してます。

前の子が人見知りで怖がりの子で、家に慣れるまで1か月近くかかったのと比べると全然違います。

とにかく、彼との新しい生活が始まりました。

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だいぶ落ち着いてきました

  • 投稿者: shimazaki
  • 2011年7月3日 15:56
  • 日記

愛猫の件、ツイッターなどだけでなく、直接お悔みの言葉なども頂き、本当にありがとうございました。

無事に火葬も終え、現在はお骨が我が家へ戻ってきました。

ウチはマンションの上階のため庭がなく、埋葬できるところがありません。

ただ、もともと愛猫はウチが好きで、ここを離れたくないと思うので、このまま一緒に暮らすのもいいかなと思い始めています。

いまはただ、この子のことを僕がいつまでも忘れないように、いつまでも心に留めておきたいと思っています。

今後、また猫を飼うかどうか、まだ心の整理がついていませんが、猫と一緒に暮らす日々の幸せを知ってしまった僕は、

またいつの日か、シェルターに向かい、家族として誰かを迎え入れるかもしれません。その時、天国に行った彼女は、

僕のことを許してくれるかな。

初7日が過ぎ、四十九日が過ぎたら、これからのことを考えようと思っています。

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突然の別れでした

  • 投稿者: shimazaki
  • 2011年6月15日 14:38
  • 日記

 

 東日本大震災で被害に遭われた皆様へ。 このたび、東日本大震災にて亡くなられた方のご冥福をお祈り申し上げますとともに、被害に遭われた皆様へ、心よりお見舞い申し上げます。

 僕は、それほど動物やペットに関心がありませんでした。

 子どもの時、犬は好きでした。友だちの家に行くと、そこには飼い犬が居て、まるで家族の一員のように人間と犬が共生している姿を見て、「いいなぁ」と思ったことがあります。たぶん4歳くらいの時、おぼろげな記憶なのですが、近所のお家の庭に飼われていた子犬が本当に可愛くて、いつまでもその姿を柵越しに眺めていたことがあります。その子犬は柵の一角にリードで繋がれていたので、小さな子どもだった僕は、その柵からリードを取って、子犬と一緒に逃げだしたいと思ったことを頭の片隅に覚えています。

 でも、ウチは子どもの頃からアパート暮らしで、両親も共働きだったので、そもそも動物を飼う環境にはありませんでした。僕には3つ年下の弟がいますが、彼は魚類や爬虫類には興味があっても、犬や猫のような、日々人間と行動を共にするような動物には僕同様に興味がなかったようで、僕の家庭では自然に、そういうペットの話は話題に上らなかったように思います。ウチの両親は自営業を営んでいたのですが、当時は売上げが火の車で、日々の生活にも苦慮する環境でしたから、子ども以外に面倒のかかるモノを抱えるなんて発想は、そもそも我が家庭にはなかったんでしょう。

 両親と離れてひとり暮らしをしてから、僕は薄給だったので小さなワンルームマンションに長く暮らしていました。でも30歳になった時、一念発起して3LDKの分譲マンションを購入したのです。当時は一応一部上場の会社に勤めていたので、ローンを組むのは簡単でした。今はしがないフリーのライターなので、そんなローンは絶対に組めないんですけどね。

 そして、今の稼業であるサッカー関係の仕事を始め、某サッカー専門誌の記者を務めてから4年が経った頃、ふと、「猫が飼いたいな」と思ったんです。

マンションには様々な規約があり、一応ウチのマンションは名目上動物を飼ってはいけないようですが、他の住人の方々も暗黙の了解で犬や猫を飼っていたので、僕も「まあ、猫くらい、いいんじゃないの」という軽い気持ちでもありました。 

 そんな時、ある知り合いから「猫を飼いたいなら、ぜひ、ここの猫の里親になってくれないか」と言われました。それは猫シェルターと言われる施設で、いわゆる親と生き別れになって保護された猫たちの里親を探す活動をしている団体だったのです。

 友人は言いました。

「ここの猫たちはまったく身寄りがない。もしこのまま放置していたら保健所に連れていかれて、安楽死させられる猫たちなんだ。もし君が一頭でももらってくれるなら、彼ら、彼女の命を救うことになる」

 そう言われた僕は、その誘いを断ることもできずに、シェルターへ足を運ぶことになりました。

 僕が行ったのは、今から6年前の12月。実は、猫の生まれる時期は暖かい頃が多いそうで、6月や7月の時期に数多くの子がここに連れてこられ、『里親さん』と言われる飼い主候補の方々がその時期に来て、好きな子を連れて帰るそうです。

 僕がシェルターを訪れた時には10頭前後の子しかいませんでした。シェルターの方曰く、「夏から秋だったら100頭くらいいるんだけど、今はもう、里親にもらわれなかった子しか残ってないのよ。ごめんなさい。でも、猫たちはみんな一緒。もし、あなたがこの中で一緒に暮らしたいと思う子がいたら、ぜひ連れて帰ってね」

 薄暗い部屋に詰め込まれた猫たちは、どこか所在なげで、元気がなさそうでした。巷で人気のある三毛猫やトラ猫はいません。真っ白か真っ黒。もしくはブチ猫と呼ばれる子たちが大半でした。

 みんな知ってますか。猫にはコミュニティの中で序列があるんです。特に集団では、その傾向は強い。そして猫社会ではたいてい、棚などの上にいる猫ちゃんは立場が上で、下にいくほど虐げられた存在になります。

 うーん、やっぱり、それなりに気持ちのしっかりした子がいいかなぁ。そう思っていた矢先、地べたの方から「ウニャーン」と声を上げ、僕に呼びかけた猫がいました。地べたですよ。地べた。つまり、この中で最も弱っちい子ということです。

 黒猫の君。何かを懇願するようにまっすぐに僕の目を見て、微動だにしません。その瞬間、僕はシェルターの方に言いました。

「僕、この子を家に連れて帰ります」

 なんか、ピンときたんですよね。目と目が合って一目ぼれといいますか。特に目立つわけでもなく、どちらかというと弱々しくて、頼りなげな感じ。でも、もし僕がこの子を連れて帰らなかったら、きっとこの子は誰にももらわれなくて、保健所に連れて行かれちゃうんじゃないかと勝手に思ったんですよね。あくまでも僕の勝手な想像です。

 抱き上げると、彼女は(女の子でした)背中の一部分に毛が生えていませんでした。

「たぶん、ストレスで毛が抜けてしまったんです。こういう子は神経質で、怖がりな子かも。それでもいいですか?」

 僕は「ハイ」と答えて、家に連れて帰りました。でも、これからが大変だったのです。

 彼女は、シェルターからお家に帰るまで、ずっと籠の中で泣いていました。

「どうしてそんなに泣くの? もう少しで家に着くから、もう泣かないで」

 家に着くと、彼女はすぐに和室の片隅の暗い角っこに入り込んで、「ニャー、ニャー」と泣きながら、何やら懇願していました。これはご飯か、それともトイレかなと思い、すぐさま友人から教わった通り、ドライフードの封を開け、横に水を置き、同時にトイレの設営も行いました。万事抜かりなし。これで心配なし。でも彼女は、それから3日間、ご飯にもトイレにも寄りつかず、ずっと部屋の片隅で泣き続けていました。

 ウチに猫が来て3日目。僕はもう根負けしそうでした。だって、全然彼女は懐いてくれないし、夜通し泣き続けるので、僕は寝不足なこともあって、一気に猫が嫌いになりかけていました。

「猫を飼うのって、そんなに簡単じゃないのね」

 初心者の僕は、もうお手上げでした。

「もうダメかも。明日、シェルターに連れ帰って、『すみません。やっぱり僕には猫は飼えません』と言って、返してこよう」と決心しました。

 夜になって、ベッドの敷布団を変えようと、布団を引き上げた時、彼女はなぜか僕に寄ってきて、何かに抗議するように「ニャー、ニャー」と叫びました。

「ウルサイなー、もう。勘弁してよ」

 そういって、わざと風が吹くように、彼女の鼻先で布団をバタつかせました。すると彼女は苦しそうな顔をして、「クシュン」とクシャミをして、鼻から鼻水をこぼしたのです。その時僕は本当に後悔しました。まさか猫が、人間と同じように苦しそうにくしゃみをして、鼻水を垂らすなんて思わなかったから。

「ごめんよ。ひどいことをして。もうこんなこと、絶対にしないからね」

 その時、僕は決心したのです。この子と一緒に暮らしていこうと。

 シェルターの方の前評判通り、彼女は臆病な子でした。例えば家の呼び鈴がなると、彼女は一目散に押入れの隙間に逃げ込むか、ベッドの下、もしくは炬燵の中に駆け込みます。一度会った人でも心をなかなか開きません。他人が家にいると、たいてい彼女は隠れていて、市毛良枝さんの『家政婦は見た!』よろしく、柱の物影から様子をうかがうだけです。

 でも、僕に対してだけは違いました。僕たちは彼女が家に来てから約1か月後に、ようやく心を通じ合わせることができたのです。

 ある日、僕が真夜中に仕事から帰ると、それまでは全く暗がりから出てこなかったのに、この時は急に僕の足下にすり寄ってきて、僕のジーパンに自分の頭をこすり付け続けました。実は猫のこめかみ部分には人間には感じない匂いの分泌液が出るらしく、それで自分のモノをマーキングするらしいんです。彼女は僕の家に来て初めて、僕のことを同居人と認識し、自分の匂いを付けてくれたのです。本当に嬉しかった。

 きっかけが何だったのかは分かりません。この時はいつも以上に帰宅が遅く、一人ぼっちにさせる時間が長かったからかもしれません。それともようやく、僕に心を開いてくれたのでしょうか。原因は分かりませんが、それ以来、彼女は僕が家に居る時は必ずベッドで一緒に寝てくれました。そして1年が経つと、僕と彼女は、共に生きる存在として認め合い、お互いを尊重しながら暮らす伴侶になったのです。

 僕が車で帰宅し、マンション下の高架式駐車場に車を入れていると、彼女は決まって玄関越しから「ニャー、ニャー」と騒ぎました。ドア越しにも声が聞こえるので、僕は最下層の駐車場に車を入れ、ボタンを押してそれを下げる間は気が気ではありませんでした。そして車が収納されると、僕は階段を駆け上がり、すぐさまドアを閉めて、彼女に「うるさいよ!」と叱るのが日課になりました。彼女がウチに来てから、僕は2回車を変えたけれど、彼女は必ず約1か月で僕の車のエンジン音を覚えて、僕が家に着くと必ず玄関先で大声を上げるようになりました。たまにすぐに家に行かず、コンビニに寄ってから帰ると「なんですぐに来てくれないの」とばかりに恨めしい目を向けて、その日はしばらくベッドに来てくれないこともありました。

 彼女は常に私の行動を監視していました。出かけようかなと衣装棚に手を掛けると、彼女は決まって邪魔をしに来て、その衣装棚にスッポリ身体を入れて、「これなら出かけられないでしょ」とばかりに舌をペロっと出して、僕の顔をじっと見つめました。

僕がトイレやお風呂に入っていると、彼女は決まってトントンと扉を叩き「私も入れてよ」と言ってくるので、僕は仕方なく扉を開けて彼女を迎え入れますが、彼女はすぐに飽きて「早くここから出せ!」と喚きました。

彼女はいつも、私の興味を引こうとしていました。僕がパソコンに向かって仕事をしていると、邪魔をするようにキーボードの上に乗り、微動だにしませんでした。僕がテレビドラマに夢中になっていると、彼女はテレビの前にデンと立ち、しまいにはその前に寝っ転がって、スヤスヤと寝息を立てることもありました。僕が新聞紙を広げて小難しそうに頷いていると、決まってその新聞の上で大の字になり、「文字なんかじゃなくて、私を見て!」とアピールしてくるのです。

 ウチでは、彼女は女王様でした。僕が寄り添って欲しい時には絶対に来てくれず、押入れやソファ、本棚の上で、我が物顔で悠々と寝そべっていました。でも、僕が一日を終え、寝床に入り、眠りに付く寸前には、彼女は決まって僕の左腕に来て、そこに顎を載せて安らかな眠りについてくれました。

「あなたはいつも、勝手に出掛けて、私をひとりにしてるでしょ。だから私も、私の都合でやらせてもらうわよ」

 僕は彼女のルールに従うことに、とても居心地の良さを感じていたし、ふたりにとってもそれが穏やかで、心休まる時であることを、この数年間で理解していました。

 彼女はウチが大好きでした。ウチには彼女の居場所はいくつもありました。押し入れの中、リビングのソファ、テレビ台の上、炬燵の中……。特に僕のベッドの下は、僕の絶対に手の届かない場所で、彼女が悪さをしたら絶対に逃げ切れる、彼女の聖域でした。

 彼女は外が嫌いでした。たまに不注意でベランダの窓を開けっ放しにしても、彼女は絶対に外へは出ようとしませんでした。彼女が外に出るのは1年に一回。ワクチンを打ってもらいにかかりつけの病院に行く時に、僕の車に乗るくらいでしたが、その時はたいてい危険を察知して、僕が病院に行くためのキャリーバッグを出した途端にベッドの下に潜り込んで抵抗を続けました。

「君のために注射を打ちに行くんだよ」

 いくらそう言っても、彼女は決まって私の目を睨みつけ、「そうやって、私を家から追い出そうとするんでしょ」と訴えかけるのです。そんなこと、絶対にしないのに。

 2011年6月10日の夜。正確には6月11日になった夜更け。あなたはいつものように床に寝そべって、私の興味を引いているように見えました。でも、何か様子がおかしい。「おいで」と言って手を伸ばしても、いつものように茶目っ気たっぷりに逃げ出そうとせず、ゼイゼイと息を吐いて喘いでいます。

「どうしたの?」

 部屋に異臭がするので、彼女のトイレに駆け寄ると、綺麗好きな彼女が必ず猫砂の下に隠すはずの排泄物が、そのまま砂の上に置かれていました。そして、ご飯を置いた場所には食べ物が散乱しています。

「どうしたの?」

 もう一度、彼女に駆け寄って様子をうかがうと、彼女は懸命に立ち上がり、歩こうとするのですが、足がおぼつかず、よろけて倒れてしまいます。そして、今まで一度も見せたことのない苦しい表情で一言、私の顔を見て「ミャー」と鳴きました。

 私はパニックに陥り、すぐに夜中の急患を引き受ける動物病院に電話しました。

「ウチの猫が呼吸困難みたいになって、喘いでいるんです」

 病院の先生

「餌を食べた後ですか? それなら、餌を器官、肺に間違って吸引してしまって、急性肺炎になった疑いがあります。その場合は重篤ですので、すぐに病院に連れてきてください」

 私はすぐに彼女を抱き抱えようとしました。でも、苦しそうな彼女は抵抗して、エビ反りになって僕の手から逃げ出そうとします。

「ダメだよ。病院に行かなきゃ」

 半ば強引に持ち上げ、玄関で靴を履き、外に出て車に彼女を乗せようとすると、彼女はあらん限りの力を振り絞って叫びました。まるでこう言うかのように。

「私を外に連れて行かないで!」

 私は彼女の訴えを聞かず、助手席に乗せ、車を発進させました。でも、彼女の吐息は、次第にか細くなっていきます。

「もう少しで病院に着くからね。それまで頑張ってね」

 必死に声を掛けますが、彼女は苦しげな表情で、かきむしるように座席に爪を立て、悶えています。そして……。

 信号待ちをしている時。彼女が一瞬「うーん」という唸り声を上げました。そして座席に横たわると、ピクリとも動かなくなりました。あれだけ波打っていた鼓動も、全く聞こえません。

「どうしたの? もうすぐだよ。目を開けて」

 いくら声を掛けても返事は返ってきません。その時、僕は悟りました。彼女は天国に逝ってしまったんだと……。

 病院に着いた時、すでに彼女は息をしていませんでした。先生が、彼女の目に光を当てて、僕にこう言いました。

「猫は普通、瞳孔に光を当てると細く萎むんですが、瞳孔が開いたままです。つまり、もうすでにお亡くなりになっているということです。とても残念ですが、もうこの猫ちゃんをお助けすることができません」

 看護婦さんが来て、私にこう言いました。

「このままですと、鼻やお尻から、身体の中の内容物が出てしまうので、詰め物をしますね。少し猫ちゃんをお貸しください」

 病室の待合所に座っていると、彼女は温かそうなタオルと一輪の花に包まれ、僕の元に帰ってきました。彼女を持つと、まだ体温があり、温もりに包まれています。

「じゃあ、家に帰ろう」

 僕は彼女を抱き抱え、家に着くと、そのままベッドに向かい、彼女を抱きしめたまま一緒に寝ました。

そして数時間後、朝が来て、かかりつけの病院が開かれると、そこに電話をして、「信頼できる、ペットの火葬場屋さんを教えて下さい」と聞きました。そして僕は、硬くなった彼女の亡骸をダンボールに入れ、お花と、大好きだったドライフードを詰め、車を運転して火葬場に行き、「彼女を弔って下さい」とお願いしました。すると親切な火葬場の人は「立ち合いにしますか。それともこちらで引き受けて、個別火葬にしますか」と聞くので、「仕事があって、どうしても立ち会えないので、そちらでお願いします」と言いました。この日、僕はさいたまダービーの取材で、大宮に行かなければならなかったからです。すると親切な火葬場の人は「では、飼い猫さんとは、ここで今生のお別れになります。よく顔を見て、お別れを告げて下さい」と言うのでした。

彼女はまるで、いつものように僕のベッドで眠っているようでした。安らかに、穏やかに、何の心配もなしに。

その瞬間、今まで堪えていた僕の感情が溢れだしました。彼女の顔を撫で、腕をさすりながら、僕は言いました。

「ありがとう。

さよなら。

ありがとう。ありがとう。

さよなら。さよなら」

 わずか6年の生涯でした。どうしてこんなに早く、彼女は旅立たなくてはならなかったのでしょう。僕がもう少し早く、彼女の異変に気づいてあげれば、こんなことにはなっていなかったかもしれません。さっきまで、あんなに元気に飛び跳ねていたのに。無邪気に啼いていたのに。一緒に遊んでいたのに。

彼女は僕の家に来て、僕と共に暮らして、果たして幸せだったのでしょうか。

 まだ心の整理はついていません。でも僕は、彼女に伝えたいことがあります。

 僕のそばに寄り添ってくれて、ありがとう。

 僕だけを見てくれて、ありがとう。

 一緒に生きてくれて、ありがとう。

 でも、できるなら、もう少し一緒に、同じ時を過ごしたかった。

 あなたがいなくなって、本当に寂しいです。

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バタバタしています

  • 投稿者: shimazaki
  • 2011年1月11日 13:59
  • 書き物

最近、いろいろな仕事にチャレンジできるようになったのは良いのですが、何か余裕がなくなっているような気もしています。

このブログも、もっと更新したいのですが、ちょっと散漫になっていて自己反省してしまったり……。

そんななか、明日は浦和レッズマガジン2月号が発売されます。

今回から、雑誌ロゴを変更しました。

ドイツに渡った細貝萌が表紙です。

巻頭では細貝のインタビューを行っています。

今回、細貝の海外移籍に関しては、レッズサポーターの方々にも賛否両論あるはずです。

そして、そのサポーターの方々のご意見は細貝自身も深く理解していることが分かりました。

ぜひこのインタビューの言葉から、彼の気持ちを、皆さんも感じていただければと思います。

僕は1月末に予定されているレッズの第一次キャンプ、そして2月上旬の第二次キャンプを経て、2月中旬から3月にかけて、ドイツに行ってこようと思っています。そのことに関してはこのブログや、ほかの媒体でも明らかにしていきますね。

それでは、また。

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あけましておめでとうございます

  • 投稿者: shimazaki
  • 2011年1月1日 11:10
  • 日記

皆さま、あけましておめでとうございます。

本年も、どうかよろしくお願いいたします。

私事ではありますが、昨年は仕事面で様々な変化がありました。

ひとつは個人メールマガジンを立ち上げたこと。そしてもうひとつは雑誌の編集長に就任したこと。

非常に有意義でありながら、責任もある仕事を任され、身の引き締まる思いで現在も活動を続けております。

ただ、ここで立ち止まるわけにはいきません。本年もできるかぎり全力で、かつ皆さんのニーズに応えられるような仕事を行っていきたいと考えております。

取り急ぎ、2月以降にはまたひとつ、新たな試みを皆さんに発表できるのではないかと考えております。

皆さま、これからもどうか、末永く、よろしくお願い致します。

島崎英純

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